2009年11月19日木曜日

J-1 ビザの取得

1月中旬に学位審査が問題なく終わり、J-1ビザ取得のための準備に取り掛かった。
参考にしたサイトはJ1-PROTECTION、研究留学ネット、アメリカ大使館のホームページであった。

記憶が定かではないが、思い出せる範囲で書きます。下記が面接時に用意した書類などです。
 オンラインでDS-156、DS-157、DS-158を作成する。このときDS-157の教育歴を記入する欄では、中学校、高校、大学、大学院の4つを書いたが、その教育期間を書く欄ではパソコンで入力しようとすると3行までしか記入できなかったので、そこだけは手書きで書いた。
 申請料金を郵便局のATMで支払い、領収書を手に入れた。
 SEVIS費をオンラインで、クレジットカードで支払い、支払い確認書をプリントアウトした。
 写真は近所の本屋に設置されている700円の証明写真で一応ネクタイをして撮影した。背景は白が要求されているが、700円の証明写真なので、完全な白ではなかったが、問題なかった。ハサミで5cm×5cmになるように整えた。この写真がビザの写真になる。この写真はアメリカ大使館のホームページの指示にしたがって、DS-156の所定の場所に糊で貼付した。
 色が付いていないクリアファイル。  
 EXPACK 500。
 パスポート。
 DS-2019。
 念のために、CVとDS-2019を取得するために作成した3ヶ月前の英文の銀行残高証明書。

 1月の下旬にオンラインで予約をする。福岡が一番近いので、福岡を予約しようとしたが、月に2、3日しかやっていないために、2月の予約は既にいっぱいで取れないので、大阪領事館に切り替えて、1週間後の2月3日の10時に予約した。10時がその日の一番遅い予約時間であった。予約した確認書もプリントアウトして、当日持参した。
 
 2月3日は当日に新幹線で新大阪に9時過ぎに到着し、地下鉄で淀屋橋に行き、大阪市役所の前を通って、領事館に9時30分くらいに到着した。警備員の人に、面接の予約確認書を見せて、道端で5分くらい待たされた。館内に入るときに、ペットボトルは館内に持ち込めないので、その場で飲んで、ペットボトルはゴミ箱に捨てて、傘を預けた。
 
 館内の入ったところで、手荷物検査を受けて、携帯電話を預けた。このときに、預けた荷物のための番号札をもらった。エレベーターで3階に行き、日本人らしい男の人に書類のチェックをしてもらった。書類の不備はDS-2019で、ビザ面接を受けた日付、場所、自分のサインをその場でした。この男の人にされた質問は、「アメリカ滞在中の費用は、○○大学(出身大学)から出ますか?」と聞かれたので、「○○大学からは出ません。」と答えた。最後に、「階段で2階に行って下さい。」と言われたが、階段への入り口がわからず、少し迷った。この男性は、ずっとガムを噛んでいた。これもアメリカンスタイルかと思った。
 
 2階に移動して、4、5人の列の後ろに行き、順番を待った。面接は、並んでいる順番で行なわれ、窓口は2箇所あった。先に面接を受けている人の様子を観察すると、面接官と日本語で話しをしている人もいれば、最初に面接官が日本語で、「英語は話せますか」と尋ねた後は、英語で面接を受けている人もいた。
 
 自分の番が来て、窓口に行き、書類を渡すと、面接官が日本語で、「英語は話せますか」と尋ねたので、得意ではないと日本語で言ったと思う。その後は英語で聞かれたが、ゆっくりしゃべってくれた。質問は「どこに行くのか?」、「何をするのか?」、「あなたの身分は?」、「滞在期間は?」、「滞在費は?」であったので、「University of California, San Franciscoに行く。」、「○○の研究をする」、「オレはPh.D.で、Pstodoctral fellowで働く。」、「2年間」、「アメリカのボスが給料を払う」などのやりとりを行なったが、英語でのやりとりは酷かった。自分の英語のレベルはやばいと改めて思った。最後に、面接官からビザに関する書類をもらい、「がんばってください」と日本語で言われた。そんな英語力で大丈夫かと言われているように感じた。
 
 領事館を出るときに、携帯電話を返してもらって、傘を持って地下鉄駅に向かった。領事館を出て、時間を確認すると10時過ぎであった。面接に来た人が少なかったので、早く終わった。2月6日にはビザが貼られたパスポートなどがEXPACK 500で送られて来た。

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