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2014年2月5日水曜日

J1ビザ4回目も郵送申請

J1ビザ申請の1回目と2回目は大阪領事館と東京大使館での面接でしたが、前回のJ1ビザ3回目は郵送申請 で、4回目も郵送で申請しました。

書類の準備などは、前回の郵送申請と同じですが、前回と違ったところは、

1)アメリカ発行のクレジットカードでビザ申請料金を払うことが出来た。

2)クレジットカードで払ったビザ申請料金の確認書の提出は不要。


自分のアカウントに入る時は、前回の郵送申請時に作成したパスワードで入ることが出来ました。

アメリカ大使館から送られて来た、宛名が張られたレターパックに、以下の書類をクリアファイルに入れて郵送しました。

写真 5cm x 5cm
パスポート
DS-2019(最新のものだけ)
DS-160の確認書
郵送・更新申請確認書

郵送での更新申請をする時に、ビザ申請料金の支払い確認番号を入力する必要がありましたので、今回はビザ申請料金の確認書の提出がなかったのだと思います。

DS-2019は、自分のサイン、日付、申請場所の入力は忘れずに記入しました。

土曜日に、レターパックを郵便局内のポストに投函しましたが、翌週の金曜日には、新たなJ1ビザが添付されたパスポートなどが送られてきました。

今回は、私が経験した郵送申請ですが、申請方法や書類は刻々と変化しますので、ビザ申請される方は、申請方法の最新の情報をアメリカ大使館で確認して下さい。

東京のアメリカ大使館と大阪のアメリカ領事館では、郵送申請に掛かる時間が異なるようですので、これからJ1ビザを申請される方で、将来的に同じプログラムでJ1ビザを更新する可能性がある場合は、アメリカ大使館を選んだ方が、将来的に、郵送申請でJ1ビザを更新する時に、手続きの日数が短くなると思いますが、郵送による更新申請ではなく、面接による更新申請にすれば、関係ないことですね。

2013年2月1日金曜日

J1ビザ3回目は郵送申請

日本に一時帰国すると、ビザが期限切れになっており、新しい有効なビザを取得しないとアメリカに入国出来ませんので、三度目のJ1ビザを申請しました。

3回目の申請は東京で行なうことにしました。

ビザ申請では申請費用を払わないといけませんが、クレジットカードで払うことにしましたが、アメリカ発行のクレジットカードは受け付けてもらえずに、日本発行のクレジットカードで払いました。

東京での面接予約をする前に、飛行機のチケットを購入し、それから、申請手続きをして、さあー、面接の予約をしようとすると、自分が予約したかった日だけが、既に予約満杯となっていましたので、こうなったら、郵送でJ1ビザを申請をしようと思ったのがきっかけです。

書類に不備があれば、ビザ取得までに時間がかかるリスクもあるなと思いましたが、郵送で申請出来る条件に該当していましたので、人生はチャレンジだということで、やってみました。

また、日本の寒い冬で、一時間も外に立たされるのは厳しいよねという思いもありました。

前回のビザは東京で申請していますので、今回の郵送は東京で申請するのが、郵送申請の条件です。

郵送申請でもビザ手続きは、面接を受けるものと同じです。

面接の予約をする代わりに、申請を郵送申請にするだけですが、そうすると、日本国内の登録住所に、アメリカ大使館から、宛名が張られたレターパック350が届きますので、そのレターパック350にビザ手続きに必要な書類を入れて送るだけです。

郵便ポストに投函してもよいそうですが、私の場合は郵便局の窓口まで持っていきました。

以下は郵送した書類の一覧です。

写真 5cm x 5cm
パスポート
DS-2019(最新のものだけ)
DS-160の確認書
郵送・更新申請確認書
クレジットカードで払ったビザ申請料金の確認書(これも同封したと思いましたが、記憶がはっきりせず)

さあー、送ろうとレターパック350の封をしようと思いましたが、もう一度、書類を取り出して確認していると、DS-2019で自分のサイン、日付、申請場所を記入する欄を空欄にしていることに気づきましたので、落ち着いて記入してから、郵送しました。

危うく、書類不備になるところでした。

土曜日に、レターパック350を郵便局に出しましたが、送り返された来たのは、一週間後の土曜日でした。

送り返された書類は、同封した書類と、前回のビザ申請時にも、もらった小さい紙が入っていました。

ビザ申請では自分のアカウントから、申請手続きや、郵送の追跡が出来るようになっているようですが、実際は何も追跡は出来ないようです。

それでも無事に、郵送で新しいJ1ビザを取得できましたので、オーケー花畑牧場でした。

2011年5月19日木曜日

2回目の面接

東京のアメリカ大使館には、8時30分の予約で行きました。

 8時20分くらいに大使館前に到着しましたが、既に50人くらいの列が出来ていました。

 15分くらいしてから、日本人の職員の方が書類の回収を始めましたので書類を渡し、番号が記された整理券のようなものを貰いました。

 なかなか、列は進まず、列の後ろを見ると、更に50人くらいの列が出来ていました。

 9時10分くらいに、手荷物検査などを通過し、大使館内の面接部屋へと入りました。

 中に入ってから、5分くらいして掲示板に自分の番号が出ましたので、案内通りに窓口に行き、指紋採取を行いました。

 更に、5分くらいしてから、掲示板に自分の番号が出て、次は領事との面談です。

 領事は日本語で六人目の男に話し掛けてきました。

    領事「六人目の男さんですか?」

 六人目の男「はい。」

    領事「アメリカで何をしていますか?」

 六人目の男「〇〇の研究をしています。」

    領事「アメリカでの滞在を延ばすのですね?」

 六人目の男「はい。」

    領事「ビザは許可されました。」

 六人目の男「有難う御座います。」

 の日本語によるやりとりだけでした。

 大使館を出ると、9時30分くらいだったと思います。

 同じプログラムによるビザ延長のために日本語だったのか?担当してくれた領事が、日本語で話す意向なのかはわかりませんが、簡単な質問だけでしたので、拍子抜けした感はありました。

 もう、アメリカ大使館に来ることはないなと思いながら、東京駅の丸善本店に向かった六人目の男でした。

2011年4月29日金曜日

DS-160の作成

ビザ申請のために、DS-160という書類をオンラインで作成しないといけません。

 まずは、写真です。

 自分のデジカメで、タイマーをセットして、自分を撮りました。

 そして、その写真を、自分のパソコンにインストールされている画像処理ソフトで、画質やサイズを調整・加工しました。

 次に、アメリカ大使館のホームページにアクセスし、DS-160の書類の作成開始です。

 書類の申請先は、東京を選びました。

 また、写真のアップロードもうまくいきました。写真のアップロードがうまくいかない場合は、画像処理をやり直して、規定のファイルサイズと写真の大きさにして、もう一度、やり直す必要があります。

 次は、必要な項目にデータを打ちこむだけです。
 
 ある程度時間が経つと、データが無効になりますので、一つのページが終われば、セーブしていくことをお勧めします。

 最後まで行くと、それまで入力したデータを確認するようにと表示されますので、もう一度、データを読み返しました。

 最後は確認ページのプリントアウトで終了です。

 また、Eメールが送られて来ますが、それも確認ページと同じようなものだったと思います。

 確認ページのみ、面接時に必要ですので、それまでは大切に保管しておく必要があります。

 今回は2回目の書類作成でしたが、30-40分くらいはかかったと思います。

 くれぐれも、データはこまめに、セーブされることをお勧めします。

2011年4月25日月曜日

メンドクサイ

アメリカに来る時に、ボスと2年という契約でしたので、DS-2019は2年間で発行され、ビザも2年間で発行されました。

 一時帰国する時は、新しいDS-2019でビザ申請しないといけません。

 メンドクサイ

 アメリカに行くことになったときに、「2年と3年、どちらがいいか」と聞かれ、「2年」と答えました。

 その時に、3年と答えておけば、DS-2019は3年間で発行され、ビザも3年間で発行されたと思います。

 メンドクサイですが、一時帰国する時は、アメリカ大使館に行かないと行けません。

 面接費も払うので、何か損した気分です。

 ということで、選択肢がある時は、長い方をオススメします。

2011年4月7日木曜日

延長お願いします

まだ、サンフランシスコにいます。

 DS-2019によるプログラム終了後は1ヶ月アメリカに滞在出来ますが、そういう理由ではありません。

 アメリカにポスドクとして来る時に、現在のボスとの最初の話では2年間ということで、DS-2019を発行し、J-1ビザも2年間になっています。

 現在もポスドクとしてサンフランシスコに滞在しています。

 はい、ボスと交渉して新しいDS-2019を発行してもらい、UCSFでポスドク3年目に突入です。

 ボスとのポスドク延長の話は1年以上前に、ポスドク1年目の終わり頃に、口頭で承諾をもらっていました。

 半年前くらいに、ボスにポスドク延長の手続きをしたいと打診し、Departmentのポスドク担当者に、ボスから話をしてもらい、直に新しいDS-2019を発行してもらい、インターナショナルオフィスまで、新しいDS-2019を取りに行きました。

 これまでと同じく、給料と保険などもボスが払ってくれます。

 ということで、ポスドク1年間延長で、今日のブログは500回目です。

2010年3月28日日曜日

最低限の金額

UCSFでポスドクをするときは通常はJ1ビザが発行されると思います。
 
 UCSFがJ1ビザのために発行するDS-2019を手に入れるための最低限度の金額は、下記のInternational Students & Scholars Officeのサイトに載っています。
 http://isso.ucsf.edu/

 ポスドク1人だけなら、1ヶ月月の金額$3,117で年間$37,400で、ポスドク、配偶者、子供2人の場合は、1ヶ月月の金額$4,126で年間$49,512の財源の保障がなければ、UCSFはDS-2019を発行しないようです。

 ポスドク1人の年間$37,400という額はNIHが推奨するポスドク1年目の給料と同じです。

 例えば、配偶者、子供2人を持つポスドクが、UCSFからDS-2019を発行してもらい場合に、受け入れ先のボスが、年間$49,512を給料として払うなら問題ないと思いますが、そのボスが年間$37,400しか払わない場合は、ポスドク側が年間$12,112分(=$49,512-$37,400)の金額を自分で賄う必要があります。

 2年間ポスドクを希望する場合は$24,224分(=$12,112×2)のお金をInternational Students & Scholars Officeに示す必要があります。そのお金は、貯金、財団からのフェローシップ、日本の所属先からの給料でも良いようです。

 サンフランシスコで、4人家族で暮らす場合は、2ベッドルーム以上になると思いますが、2ベッドルームは1800-2000ドル以上が普通です。UCSF Houingが提供する2ベッドルームの1ヶ月$1745で安くなっています。

 $1745ですが、空が無ければ入れません。

 $1745で安いと聞いて、サンフランシスコの家賃が高いことは理解できますよね。

2009年11月19日木曜日

J-1 ビザの取得

1月中旬に学位審査が問題なく終わり、J-1ビザ取得のための準備に取り掛かった。
参考にしたサイトはJ1-PROTECTION、研究留学ネット、アメリカ大使館のホームページであった。

記憶が定かではないが、思い出せる範囲で書きます。下記が面接時に用意した書類などです。
 オンラインでDS-156、DS-157、DS-158を作成する。このときDS-157の教育歴を記入する欄では、中学校、高校、大学、大学院の4つを書いたが、その教育期間を書く欄ではパソコンで入力しようとすると3行までしか記入できなかったので、そこだけは手書きで書いた。
 申請料金を郵便局のATMで支払い、領収書を手に入れた。
 SEVIS費をオンラインで、クレジットカードで支払い、支払い確認書をプリントアウトした。
 写真は近所の本屋に設置されている700円の証明写真で一応ネクタイをして撮影した。背景は白が要求されているが、700円の証明写真なので、完全な白ではなかったが、問題なかった。ハサミで5cm×5cmになるように整えた。この写真がビザの写真になる。この写真はアメリカ大使館のホームページの指示にしたがって、DS-156の所定の場所に糊で貼付した。
 色が付いていないクリアファイル。  
 EXPACK 500。
 パスポート。
 DS-2019。
 念のために、CVとDS-2019を取得するために作成した3ヶ月前の英文の銀行残高証明書。

 1月の下旬にオンラインで予約をする。福岡が一番近いので、福岡を予約しようとしたが、月に2、3日しかやっていないために、2月の予約は既にいっぱいで取れないので、大阪領事館に切り替えて、1週間後の2月3日の10時に予約した。10時がその日の一番遅い予約時間であった。予約した確認書もプリントアウトして、当日持参した。
 
 2月3日は当日に新幹線で新大阪に9時過ぎに到着し、地下鉄で淀屋橋に行き、大阪市役所の前を通って、領事館に9時30分くらいに到着した。警備員の人に、面接の予約確認書を見せて、道端で5分くらい待たされた。館内に入るときに、ペットボトルは館内に持ち込めないので、その場で飲んで、ペットボトルはゴミ箱に捨てて、傘を預けた。
 
 館内の入ったところで、手荷物検査を受けて、携帯電話を預けた。このときに、預けた荷物のための番号札をもらった。エレベーターで3階に行き、日本人らしい男の人に書類のチェックをしてもらった。書類の不備はDS-2019で、ビザ面接を受けた日付、場所、自分のサインをその場でした。この男の人にされた質問は、「アメリカ滞在中の費用は、○○大学(出身大学)から出ますか?」と聞かれたので、「○○大学からは出ません。」と答えた。最後に、「階段で2階に行って下さい。」と言われたが、階段への入り口がわからず、少し迷った。この男性は、ずっとガムを噛んでいた。これもアメリカンスタイルかと思った。
 
 2階に移動して、4、5人の列の後ろに行き、順番を待った。面接は、並んでいる順番で行なわれ、窓口は2箇所あった。先に面接を受けている人の様子を観察すると、面接官と日本語で話しをしている人もいれば、最初に面接官が日本語で、「英語は話せますか」と尋ねた後は、英語で面接を受けている人もいた。
 
 自分の番が来て、窓口に行き、書類を渡すと、面接官が日本語で、「英語は話せますか」と尋ねたので、得意ではないと日本語で言ったと思う。その後は英語で聞かれたが、ゆっくりしゃべってくれた。質問は「どこに行くのか?」、「何をするのか?」、「あなたの身分は?」、「滞在期間は?」、「滞在費は?」であったので、「University of California, San Franciscoに行く。」、「○○の研究をする」、「オレはPh.D.で、Pstodoctral fellowで働く。」、「2年間」、「アメリカのボスが給料を払う」などのやりとりを行なったが、英語でのやりとりは酷かった。自分の英語のレベルはやばいと改めて思った。最後に、面接官からビザに関する書類をもらい、「がんばってください」と日本語で言われた。そんな英語力で大丈夫かと言われているように感じた。
 
 領事館を出るときに、携帯電話を返してもらって、傘を持って地下鉄駅に向かった。領事館を出て、時間を確認すると10時過ぎであった。面接に来た人が少なかったので、早く終わった。2月6日にはビザが貼られたパスポートなどがEXPACK 500で送られて来た。